わたしの子宮頸がん闘病記②~紹介状から入院まで~

子宮頸がん闘病記
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わたしは2022年5月に子宮頸がんを告知されました。

私のがん闘病生活の始まりです。

30代最後の年、まさかこの年でがんになるとは思ってもみませんでした。

今回は、子宮頸がん闘病記②~紹介状から入院まで~の様子を記していきます。

私の体験が、どなたかのお役に立てますように・・

告知を受けた日の夜

告知を受けた日の夜は、さすがに眠ることが出来ませんでした。

この先どうなるのだろう・・子供たちはどうなるのだろうと涙がこぼれました。

お酒もタバコもやらず、生活のリズムも安定していた私がなぜ??

毎年検診してたのになぜ見つからなかったの?

と、不安や悔しさでいっぱいでした。

次の日に紹介状をもって大学病院へ

次の日、母に付き添われながら紹介状をもって大学病院へ行きました。

診察を待っている間も、不安で時間が長く感じました。

そして、診察に呼ばれ、先生の話を聞くことに。

あいさつもそこそこに、先に内診をしましょう。

とのことで内診をしました。

その後、

「○○病院さんから紹介状をもらいまして、いただいたデータなどからしても子宮頸がんで間違いないですね。」

腫瘍が6cmで、左リンパ節が腫れている。子宮筋腫があるけどこちらは問題ない。卵巣も少し腫れているけどこちらも問題ないかと。」

「(6cmの腫瘍?!MRIの結果より大きい・・絶望)(わたしのお腹の中めちゃくちゃじゃないか!)」

「手術はできないんでしょうか?」

「これは、手術が向いていないですね。抗がん剤と放射線で治療していくのが良いかと思います。

同時化学療法を行っていきましょう。ひとまず6週間入院になりますね。なるべく早い方がいいです。」

「6週間?!!」と思わず声が出てしまいました。

そしてまた「なるべく早い方がいい」と言われてしまい、思っていたよりも深刻なんだろうな・・と感じました。

ステージを聞こうと思ったけれど、怖くて聞けませんでした。

「一緒に頑張りましょう!」という先生の言葉に勇気づけられ診察室を後にしました。

同時化学療法とは

同時化学療法とは、放射線治療と化学療法(抗がん剤)を併用して行っていく治療です

私の場合は、化学療法を週に1日、放射線治療を週に5日を5クール繰り返していきます。

後半に腔内照射(内側から放射線を当てる治療)を4回行っていきます。

シスプラチンという抗がん剤と放射線治療を同時に行うことにより、プラス2以上の治療効果が期待できるとのことでした。

※回数などは個人の症状により変わるようです。

検査にまわっていく

診察室を後にし、そこからいろいろと検査を行っていきました。

尿検査、採血、レントゲン、心電図・・

検査が終わると外来の看護師さんとのお話があり、家族状況や不安なことを聞き取りしてくれました。

それから、入院の説明を受けました。

入院日が決まらず、後日電話連絡になるとのことでした。

やっと病院が終了。長い一日でした。

付き添ってくれた母に感謝です。

検査に回っている間、周りの患者さんをみていると、だいたいは高齢の親に付き添うこどもさんが多い気がしました。

こどもの癌の検査に付き添わせてしまうなんてわたしは親不孝者だな・・と心の中で思っていました。

検査が終わり、院内のカフェで遅めのランチをして帰宅しました。

仕事の調整をする

帰宅後、職場に連絡し、診断の結果「子宮頸がん」で間違いないということを伝えました。

来週2日だけ引継ぎの為に出勤したかったのですが、検査が入ってしまい、1日だけ引継ぎの為に出勤することになりました。

最速で治療を始めたかったので、快く調整をしてくれた職場にはとても感謝をしています。

仕事を丸投げ状態で本当に申し訳ない。

だけど、今回ばかりは自分の命を優先するべきと言い聞かせ、一日出勤して、最低限の引継ぎを行い、休職をさせていただきました。

CTと放射線治療科の受診

初診から5日後、CTの検査と放射線治療科の診察がありました。

まず、CTを撮りに行きました。

わたしは、ぜんそくの持病があるため(今は落ち着いているのですが)

造影剤は使えないとのことで通常のCTとなりました。

次に放射線治療科へ。

正直、自分には全く縁のない科だと思っていました。

まさか、ここに来ることになろうとは・・

放射線治療科の先生から、放射線治療についての説明を受け、同意書などにサインをしていきました。

いろいろと副作用があるようで心配になりました。

また、遅延性の副作用が数年後に現れることがあると聞き、

やっぱり癌には効くけれども体に与える影響は大きいんだなと感じました。

診察中なにげなく先生のパソコンに移っているカルテに目を通すと、

「stage3C1r」という言葉が目に飛び込んできました。

「やっぱりstage3の後半なんだ・・」と心の中で呟きました。

わたしはあと何年生きられるのかな・・と不安になりました。

内診をして診察終了しました。

その後、治療計画室に行き、放射線を当てる部分を決めていきました。

その際に、放射線技師の方が骨盤とおなかの部分に油性マジックでマークを書いていきました。

それがくすぐったすぎて耐えられず、笑いが止められなくなりとても恥ずかしかった・・

最後に、看護師さんから放射線治療の料金についての説明を受けました。

「高っ!!」というのが正直な感想でした。

高額医療費制度が適用されますので・・とお話がありましたが、やっぱり癌の治療ってお金がかかるよな・・と感じました。

入院日が決定する

6月に入ってすぐ、病院から「入院日が決まりました。」と電話がありました。

1週間後に入院が決定し、入院日から放射線治療が開始になるとのことでした。

1週間でいろいろと家のことを母に任せる準備をしたり、

こどもの学校関係に連絡したり準備したり・・

6週間も家を空けるなんて、想像ができず心配ばかりでした。

もっと子供たちにいろいろと家のことをやってもらっておくべきだったな・・と反省しました。

また、抗がん剤を使うと脱毛するかな・・?と思い、

美容院に行って、バッサリとショートヘアにしていただきました。

今までになく短くしたので、新鮮で「頑張って治療するぞ!」

という気持ちになりました。

ケア帽子は一応用意したけれど、

ウィッグはひとまず様子を見てからにしようと思い用意はしませんでした。

母が泊まり込みできてくれる

入院5日前から、入院中のお世話の予習を兼ねて母が泊まり込みで自宅に来てくれました。

平日の一日の流れや、子どもたちの過ごし方、にゃんこたちのお世話の仕方など・・

言葉で伝えきれないだろうと思い、

事前に説明書を作りラミネートをしたものを用意しておきました

自分の入院準備もしたりと、なんだかんだあっという間に1週間が過ぎていきました。

周りに心配をかけたくなくて、なるべく元気なふりをして過ごしていました。

入院当日の朝

いよいよ入院当日の朝。平日だったため、子どもたちは学校です。

いつも通りお弁当を作り朝ごはんを作り・・

子どもたちに「1か月半お留守番よろしくね!」といって、

泣きそうになるのを必死にこらえながら笑顔で学校に送り出しました。

ここが一番辛かった・・。

無事に二人とも送り出し、いよいよ出発・・

そのまえににゃんことのしばしの別れ・・

「ママのこと忘れないでよー!」と存分にもふもふしてから出発しました。

父と母に病院まで送ってもらい、無事に病院へ着きました。

いよいよ入院!

病院につき、入院受付で手続きを済ませてから病棟に向かいました。

病棟前で、父と母と別れ、病棟事務の方に病室に案内されました。

無料の部屋を希望していたのですが、あいにく満室とのことで、4人部屋ですが有料で広めの部屋に案内されました。

とてもきれいで驚きました!

部屋や病棟の説明を受け、荷物の整理をしているうちに、

あっという間にお昼ご飯の時間になりました。

病院食はおいしくないのかな?と心配でしたが、

そんなことはなく、おいしく完食させていただきました。

これから、わたしはどうなっていくのだろうと不安な気持ちで過ごしていました。

その後・・

わたしの子宮頸がん闘病記②~紹介状から入院まで~はこれで終わります。

次回は、「わたしの子宮頸がん闘病記③~はじめての放射線治療と抗がん剤~」

をお送りします。

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