私は2022年5月、子宮頸がんを告知されました。
私のがん闘病生活の始まりです。
30代最後の年、まさかこの年でがんになるとは思ってもみませんでした。
私の経験が、どなたかのお役に立てるよう、記していきたいと思います。
不調から発覚まで
みなさん子宮頸がん検診は受けていますでしょうか?
通常だと、2年に1回検診を受けることが推奨されています。
私は、がん家系であったこと、シングルマザーであることから、検診で防げるものならばと思い、自費を使って毎年受けていました。
しかし運悪く検診に引っかからず、発覚が遅くなってしまいました。
最初の不調は2021年1月の子宮頸がん検診時に
まず、はじめにおかしいな・・と感じたのは2021年1月の子宮頸がん検診時でした。
今まで、子宮頸がん検診を受けたことは何度もあったけど、この日は検診時にかなり出血したのです。
先生も「出血しやすい?」と心配してくれましたが今までそんなことはなく。
止まらなかったら救急で見てあげるから来てね!といわれ、夕方になっても出血が止まらず、心配で救急へ。
内診をしっかりしてくれたけど原因分からず、止血剤をいただき、次の日には出血は止まりました。
2021年6月ごろおりもの増加でクリニックへ
6月ごろおりもの増加とかゆみで近くのクリニック受診。
その際も出血あり、クリニックの先生に「出血性びらんがあるから病院に行って治療したほうがいいよ。」と言われました。
出血性びらんとは、子宮の入り口がただれているような状態とのことでした。そのため、不正出血やおりものの増加がみられるということでした。
その後、少し大きめの病院に行き、出血性びらんをレーザーで焼いてもらう治療をしました。
「体質だからあまり効果はないかも」といわれ、その後も不正出血がたびたびありました。
その際、子宮筋腫があることも発覚。このころから、月経時にかなり出血するようになりました。
時折、恐怖を感じるほどの出血がみられることもありました。
10月ごろ、貧血になり鉄剤を処方していただきました。
不正出血は「出血性びらん」のため、月経過多は「子宮筋腫」のためと言われており、その後も不正出血や月経過多はたびたびありました。
2022年2月の子宮頸がん検診時
2022年の子宮頸がん検診時でもかなり出血がありました。カーテンの向こう側をざわつかせてしまい・・。
検診センターのようなところで受けたのですが、「来年からは病院で受けた方がいいですよ・・」と言われてしまいました。
また、出血が止まらず、心配で次の日病院へ。
ここで私はいつもと違う病院に行ってしまったのが間違いでした。
内診してもらったときに、「なにかある?!なんだろ?」と先生。
「出血性びらんがあるって言われてます。」というと、「なるほど!」
ということで、止血だけして見逃されてしましました。
ここでいつもの病院に行っていればもしかしたら・・と後悔しています。
ここでびっくりなのが、この時の子宮頸がん検診も陰性だったということです。
この時点ではおそらくがんはあったはずなのに、なぜ引っかからなかったのでしょうか・・。
4月ごろから疲れやすくなってきた
4月は新年度ということもあり、仕事も子育ても忙しくしていました。
なんだか疲れが取れなかったり、食欲がいまいちだったり・・
それでも普通に仕事をして生活もできるくらいは元気はありました。
貧血気味なのかな?と思い、5月半ばに病院を予約し、鉄剤をもらいに行くことにしました。
内診時に先生がおどろいた!
貧血気味なので鉄剤下さい!と軽い気持ちでの受診でした。
ついでに内診するねー!と先生が診てくれると・・やっぱり出血。
すると何やら異物を発見した模様・・
「えっ!これ癌じゃないの??検査した?!」
「2月にやって陰性でしたけど・・」
「そうか・・じゃあ違うのかな・・でも半年前の状態とは明らかに違うし、ちょっと心配だから、もう一度検査して、念のためMRIもとってみよう」
・・とのことで、2日後にMRIの予約を取り、鉄剤をもらって帰宅。
次は3週間後に結果を聞きに行く予定でした。
4日後に病院から着信が・・!!
MRIから4日たった日の夕方、病院からの着信があることに気が付きました。
折り返すも、先生不在とのことでまた連絡しますとのこと・・。
私の頭の中は嫌な予感でいっぱい。
病院から電話があるとかテレビの中の話じゃないの?!
やっぱりがんなのかもしれない・・と不安でいっぱいでした。
次の日の朝7時ごろまた病院から電話。
「やっぱり子宮頚がんの可能性がある。説明したいから病院に来れますか?」
・・・やっぱり癌なんだ。と血の気が引きました。
「今日すぐに行きます!」と返事をし、仕事にお休みの電話を入れ病院に向かいました。
病院にて子宮頸がんの疑いと説明を受ける
病院に到着し、先生から説明を受けました。
なぜだか妙に落ち着いており、取り乱すことなく先生の話を聞くことが出来ました。
MRIの結果から「腫瘍は4.8cm、左リンパ節に肥大が認められる。骨盤壁に達しているようみえる。骨転移否定できず。」とのこと。
「検査結果がまだ全部出ていないんだけど、MRIの結果、腫瘍マーカーの数値を見ても子宮頸がんの可能性が非常に高い。」
「手術で取れますか?」と聞くと
「腫瘍が4センチを超えているからね、おそらく放射線と抗がん剤治療をして、がんの元を固めていく治療になると思う。うちには放射線治療をできる設備がないから、紹介状を出すけどいいかな?」
「わかりました。お願いします。」
「なるべく早い方がいいと思うから、もし明日紹介状の病院に行けるなら行ってね。」
・・なるべく早い方がいいなんてやばいんじゃないだろうか。
と思いつつ、子どもたちや猫のこと、母のことなど急に浮かんできて不安になりました。
紹介状の病院に持って行って欲しい検査の結果が、あと2時間ほどかかるとのことで近くのファミレスで時間をつぶすことに。
おなかはすいてなかったけど、パンケーキとドリンクバーを注文。頭の中ぐるぐる回って全く味を感じられませんでした・・。
母に連絡しなければ・・
味を感じられないパンケーキを食べながら、頭の中を整理していきました。
「とりあえず母に連絡しなければ・・」
なんて報告しよう・・
とりあえず、泣かないと心に決め、明るめに電話。
「もしもし?あの今病院に行ってきたんだけどさ。」
「え!ちょっと待って待って嫌な予感!なになに?!」と勘の鋭い母!
「子宮頸がんだったわ。」
「えぇ!!やだやだやだ!うそでしょ?!なんで?!」とパニックの母。泣き出す。
これまでの経緯と結果を説明し、とりあえず実家に行き話をすることに。
病院に検査結果をもらいに行き、その足で実家へ。
実家に行き、父と母に説明。
実家につき、コーヒーを飲みながら、もらった資料などを見て説明。
「なんであなたばっかりこんな目に・・」と母泣き出す。
もらい泣きをぐっとこらえ、「私は大丈夫!」と笑って見せました。
とりあえず、明日紹介状のある病院へ行くというと、母もついてきてくれるとのこと。
子供たちのこと、お金ことは全く心配しなくていいと言ってくれた両親に感謝です。
ひとまず、自宅へ帰りました。
職場に説明しに行く
お休みをもらっていた職場に電話し、所長にアポをとり職場へ向かいました。
「あらたまってどうしたの?」という所長に事情を説明。
とても驚いていましたが、
「仕事のことはまったく気にしなくていいから今は自分のことをだけを考えて。」と言っていただけて本当にありがたかったです。
大好きな職場なのでぜひ現場復帰したい!
子どもたちに説明・・
いつも子供たちが帰ってくるときには仕事のため家にいないのですが、この日は家にいたため、「あれ?ママ休みだったの?」と不思議そうな子供たち。
あらたまって説明すると、深刻なのか・・と余計に心配するだろう・・と思い、
さらっと「ママ今日病院行って来たらがんだったわ!」と伝えました。
「えぇー!!!!やばいじゃん!どうすんの?ママ死ぬの?」とびっくりする子供たち。
「死なないし!」と笑っていうと「はー良かった!」と子供たち。
「でもしばらく入院するかもー」というと「まじ?ごはん作れるかな・・」と心配そうにしたので
「おばあちゃんが来てくれるから心配いらないよ」と伝えると安心したようでした。
とりあえず、伝えられたことにほっとしました。
その後・・
私の子宮頸がん闘病記①はこれで終わりです。
私の子宮頸がん闘病記②に続きます。
次回は紹介状から入院までをお送りします!
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